三保の村に伯梁という漁師が住んでおりました。ある日のこと、伯梁が浜に出かけ、浦の景色を眺めておりました。ふと見れば、一本の松の枝に見たこともない美しい衣がかかっています。しかし、あたりに人影はありません。誰かの忘れ物だろうと、伯梁が衣を持ち帰ろうとしたそのとき、どこからともなく天女があらわれてこう言いました。『それは天人の羽衣。どうそお返しください』ところが、それを聞いて伯梁はますます大喜び。『これは国の宝にしよう』とますます返す気配を見せません。
すると天女は『それがないと私は天に帰ることができないのです』とそう言ってしおしおと泣き始めます。さすがに伯梁も天女を哀れに思い、こう言いました。『では、天上の舞いを見せてくださるのならば、この衣はお返ししましょう』天女は喜んで三保の浦の春景色の中、霓裳羽衣の曲を奏し、返してもらった羽衣を身にまとって、月世界の舞いを披露しました。そして、ひとしきりの舞いのあと、天女は空高く、やがて天にのぼっていったといいます。
なお、このときの羽衣の切れ端といわれるものが、近くの御穂神社(みほじんじゃ)に保存されています。
この羽衣伝説は、広く日本全国およびアジアにも類話が見られますが、駿河国三保ノ松原を舞台としたものが本曲といわれています。似た逸話は、なんとヨーロッパにもあるのです。室町時代、この地に伝わっていた羽衣伝説と駿河舞を結びつけて編まれたのが、世阿弥の謡曲「羽衣」です。今でも、毎年10月上旬に羽衣の松の前では「三保羽衣薪能」が上演されています。
天女「うれしやさては天上に帰らん事を得たり。・・月宮を廻らす舞曲あり。ただいまここにて奏しつつ、世の憂き人に伝ふべし。さりながら衣なくてはかなふまじ。さりとてはまず返し給へ。」
伯梁「いやこの衣を返しなば、舞曲をなさでそのままに、天にや上り給ふべき。」
天女「いや疑ひは人間にあり、天に偽りなきものを。」
伯梁「あら恥かしやさらばとて、羽衣を返し与ふれば。・・」
「羽衣伝説」の世界に引かれて、三保松原を訪れる方も多いのではないでしょうか。
昔、天女は「羽衣」を返してもらい、天に戻っていきました。現在の清水海岸では、砂浜がなくなるのを防ぐために、海岸の砂に「羽衣」を与えるような対策が行われています。
一見動きの無い海岸ですが、海岸の砂は動いてます。寄せては返す波とともに砂も海岸に打ち寄せたり沖に流されたりしながら、少しづつ東へ東へと流されています。天女は羽衣を返されて再び空へと戻っていきましたが、東へと流された砂は三保半島の先端から駿河湾の底に流れ込むと二度と海岸に戻ってきません。
そこで、深海へ流れこんでしまう前に砂を採取して、砂浜に戻す工事を実施しています。伝説に例えると、「もとの砂浜に帰れない砂に羽衣を与える」ような工事です。
天女は美しい舞を披露して天に帰りました。戻された砂は、美しい砂浜となって美しい景観を私たちに見せてくれることでしょう。